玉真観
唐代、長安の
輔興坊にあった道観。
金仙観と相対した。もとは工部尚書の
竇誕の邸宅であったが、
武后の時に崇先府となった。崇先府は武后の父
武士彠を祀り、官属が置かれたが、武氏革命が起こると、証聖元年(695)正月十八日、武士彠は洛陽にて祀られ、崇先府は崇先寺となった。この地は分割されたらしく、景雲元年(710)十二月七日に第九公主昌隆公主のために建立され、同二年(711)四月十日に公主を
玉真公主に改封した。また崇先寺は開元二十四年(736)九月一日に広福寺に改められた。
史料
『唐会要』巻四十八 議釈教下 寺 崇先寺
『唐会要』巻五十 尊崇道教 観 玉真観
最終更新:2024年11月12日 22:40