霍王李元軌 りげんき
633-688
初唐の宗室。
高祖の第十四皇子。母は張美人。本名は李元璹。武徳六年(623)蜀王に、武徳八年(625)呉王に、貞観十年(636)霍王に封ぜられた。文武に秀でた人物で、かつて
魏徴に賢人ぶりを称えられ、その娘を妃とした。寿州刺史、絳州・徐州・定州の三州の刺史を歴任、定州刺史であった時に突厥を撃退した。
高宗の信認を受け、上疏してしばしば政務の得失を述べた。弘道元年(683)司徒に任じられた(在任683-685)。次第に武后による李氏一掃の情勢が疑われるようになると、子の
李緒とともに越王
李貞の反乱謀議に加わり、発覚して黔州に流される途中、陳倉で誅殺された。子に江夏郡王李緒、南昌郡王
李絢がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十九 列伝第四 高祖諸子 霍王元軌
『旧唐書』巻六十四 列伝第十四 高祖二十二子 霍王元軌
外部リンク
最終更新:2024年10月23日 23:00