越王李貞 りてい
627-688
初唐の宗室。
太宗の第八皇子。母は
燕妃。貞観五年(631)漢王に、貞観十年(636)原王に、ついで越王に封ぜられた。徐州都督、揚州都督、相州刺史、安州都督、相州刺史を歴任。優れた統治能力をみせて紀王
李慎とともに「紀越」と尊崇された。
中宗が廃位されて、次第に
武則天による李氏一掃の情勢が疑われるようになると、韓王
李元嘉・黄公
李譔・魯王
李霊夔・范陽王
李藹・霍王
李元軌・江都王
李緒、および子の琅邪王
李沖とともに王政復古の計略を謀り、挙兵したが、
麴崇裕・
岑長倩らの討伐を受けて潰走し、自殺した。子に琅邪王
李沖・李規・李珍子、娘に余姚県主がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十 列伝第五 太宗諸子 越王貞
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 越王貞
外部リンク
最終更新:2025年08月17日 13:56