崔昌

崔昌

?-761
盛唐の思想家・官人。天宝九載(750)「五行応運暦」を玄宗に献上、周・漢を二王後として、北周・隋を二王後から廃して非正統するよう提言し、当時の宰相李林甫に支持されて実行された。その功によって太子賛善大夫に任じられた。しかしは自ら隋の宗室の後裔を自称した楊国忠が宰相になると、再度北周・隋は二王後となり、崔昌は烏雷尉に左遷された。後に試都水使者となるも、嗣岐王李珍に与して処刑された。

列伝

『新唐書』巻二百一 列伝第一百二十六 文芸上 王勃
『旧唐書』巻九十五 列伝第四十五 睿宗諸子 恵文太子範

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最終更新:2023年08月03日 23:06
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