楊炯 ようけい
650-695
唐初の文学者。華陰(陝西省渭南県)の人。晩年に盈川県(浙江省衢県南)の令となったので、楊盈川とも称される。早熟の才子で11才のとき神童にあげられ校書郎を授けられ、680(永隆2)年、崇文館学士となったが、則天武后の初め、事に連座して梓州司法参事に左遷され、盈川令にうつされて没した。死後、著作郎を贈られた。幼年より文章をよくし、その生前にあって
王勃・
盧照隣・
駱賓王とともに初唐四傑と称された。四傑の中国文学史上における功績は、斉梁の修辞上の技巧を学んでこれを最高度に発揮し、盛唐の詩の開花を準備した点にあるが、四傑のうちでもは他の3人とはやや色彩を異にし復古的なところが見いだされる。また彼は詩中に好んで古人の名を用いたため、点鬼簿(過去帳)とよばれたという。がんらいその集は30巻あったというが伝わらず、『盈川集』10巻のみが現存する。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2023年10月28日 13:47