駱賓王
?-684頃
初唐の詩人。婺州義烏の人。若いころ落ちぶれて博徒らと交わり、奔放な生活を送った。武功主簿となったが、則天武后のとき、しばしば上疏して事を論じ、臨海(浙江省)丞に下された。しかし不満のため官をすて、のち
徐敬業と揚州で反乱の兵をあげた。そのとき彼の手に成った檄文を見て、武后がその才に驚き惜しんだという。徐敬業が敗れると逃げてゆくえがわからなくなった。彼は長安の若い男女の享楽をうたった長編「帝京篇」(七言古詩)の作者として有名であるが、その時は前代の六朝詩風をうけつぎながらも清新で格調がある。とくに数字をよく使い、対句に巧みであったため算学士の呼称もある。同時代の
王勃・
楊炯・
盧照隣とともに「初唐の四傑」あるいは「四才子」といわれ、「王・楊・盧・駱」と称される。のちに中宗が都雲卿に命じて彼の詩文を集めさせ、現在『駱賓王文集』10巻が伝えられている。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2023年06月09日 11:13