盧綸
737-799
中唐の官人・詩人。字は允言。河中蒲県の人。進士に応じたが及第せず、
元載がその文章が優れていることを上奏したため、閿郷県の尉に任命された。監察御史となったが、辞官し、しかも
王縉に連座したから長らく任官されなかった。河中節度使の
渾瑊によって元帥判官に任じられ、検校戸部郎中となった。徳宗によって長安に呼ばれたが、出発するまえに卒していた。
吉中孚・
韓翃・
銭起・
司空曙・
苗発・
崔峒・
耿湋・
夏侯審・
李端とともに「大暦十才子」に数えられる。子に
盧簡能・
盧簡辞・
盧弘止・
盧簡求がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年11月26日 23:12