趙承恩

趙承恩

?-?
初唐の武将。長安五年(705)武后が病床につくと、張柬之らとととに左右羽林兵を率いて中宗の復位を迫った。景龍四年(710)李重茂が皇太子となると、韋皇后の命によって薛簡とともに兵五百人を率いて均州に赴き、譙王李重福の動きに備えた。官位は冠軍大将軍、左羽林軍大将軍、光禄卿、天水県公で終わった。後に功臣の一人に数えられ、その肖像は凌煙閣に祀られた。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻四 本紀第四 則天順聖皇后 長安五年正月癸卯条
『新唐書』巻八十一 列伝第六 三宗諸子 節愍太子重俊
『新唐書』巻一百九十一 列伝第一百一十六 忠義上 李憕 彭
『旧唐書』巻七 本紀第七 中宗 景龍四年六月癸未条

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年01月13日 23:56
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。