李重潤

懿徳太子重潤

682-701
初唐の宗室。中宗の嫡長子。母は韋皇后。本名は李重照といい、武后の諱を避けて改名した。中宗が皇太子のときに東宮で産まれ、皇太孫となったが、父中宗が廃位されると庶人に貶された。父が太子に復帰すると邵王に封じられた。妹の永泰公主、その婿の武延基らとともに、張易之兄弟を除く謀議を企てたとして、武后の命によって杖刑に処された。中宗が復位すると悼んで懿徳太子と諡された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十一 列伝第六 三宗諸子 懿徳太子重潤
『旧唐書』巻八十六 列伝第三十六 高宗中宗諸子 中宗諸子 懿徳太子重潤

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』李重潤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%87%8D%E6%BD%A4

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最終更新:2024年04月05日 08:56
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