李仙蕙
684-701
初唐の公主。
中宗の第七皇女。母は
韋皇后。久視元年(700)九月、永泰郡主に封ぜられ、食邑一千戸となった。魏王
武延基に嫁いだ。兄の邵王
李重潤と夫の武延基が、武后の寵臣
張易之を除こうと謀って誅殺されると、同じく殺されたとされたが、永泰公主墓が発掘されると、「永泰公主墓志銘」に兄・夫が殺害された翌日に薨じたこと、「珠胎月を毀す」の記述があり、またその遺体の骨盤は通常の女性よりも先天的に小さかったことから、兄・夫殺害の報を受けて翌日難産のため没したとみられている。十七歳であった。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年10月31日 04:06