杜牧

杜牧 とぼく

803-853
中唐の詩人。京兆・万年県(陝西省西安市)の人。字は牧之。杜甫との区別するため小杜ともよばれ、晩年別荘を樊川にいとなんだために、杜樊川ともよばれる。『左氏伝』の注家として知られる晋の名将杜預を先祖とし、『通典』の編者としての知られる唐中期の名宰相杜佑を祖父とする。杜従郁の子。弟に杜顗がいる。また武宗・懿宗両朝の宰相杜悰は、その従兄にあたる。828年進士に及第して弘文館校書郎を授けられ、江西団練府巡官、淮南節度府掌書記をへて、監察御史、比部員外郎となったが、宰相李徳裕に排斥されて黄州刺史に左遷され、転じて池州・睦州の刺史となった。李徳裕の失脚後、いったん中央に召されて吏部員外郎となったが、のち湖州刺史として地方にくだり、ふたたび中央に出て考功郎中、中書舎人となった。その家がらからいって、官吏としては不遇であったが、詩人としては李商隠とともに晩唐の詩壇を代表する地位をしめ、ほろびゆくものの美しさを感傷的に歌う、その退廃的な情緒は、独特なものをもっている。しかしながら、23才の作「阿房宮賦」において、敬宗皇帝が壮麗な宮殿をいとなみ、多数の美女をたくわえたことに対する風刺を、秦の始皇帝の故事に寓し、かつ兵法の書『孫子』13編の注釈を着わしたほか、しばしば時事に対する議論を書いたことを考えるならば、退廃的生活の賛美をこととした詩人であったったとはいえない。絶句にもっともすぐれ、なかでも「江南春」「泊秦淮」「題烏江亭」など詠史懐古の詩に秀作が多い。散文では古文家の1人に数えられるが、叙事の文に小説的記述を加えた文体は、伝奇小説の影響をうけたものといわれている。詩文集『樊川文集』60巻、別集1巻、外集1巻が現在に伝わり、詩の注釈としては清の馮集梧の注がある。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百六十六 列伝第九十一 杜佑 牧
『旧唐書』巻一百四十七 列伝第九十七 杜佑 従郁子牧

参考文献

『アジア歴史事典7』(平凡社,1961年)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』杜牧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E7%89%A7

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最終更新:2024年01月23日 08:37
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