杜悰 とそう
794-873
中唐の藩鎮・宰相(在任844-845、861-863)。字は永裕。
杜式方の子。
杜佑の孫。
杜慆の兄。
杜牧の従兄弟。一族の蔭位により太子司議郎となり、
岐陽荘淑公主を娶って殿中少監・駙馬都尉となった。澧州刺史、京兆尹、鳳翔忠武節度使、工部尚書、判度支、淮南節度使を歴任した。会昌四年(844)、検校尚書右僕射・同中書門下平章事(宰相)、判度支となったが、翌年宰相を罷免されて左僕射・兼門下侍郎となり、剣南東川節度使、西川節度使、淮南節度使、兼太子太傅、分司東都、東都留守、剣南西川節度使を歴任した。咸通二年(861)右僕射、判度支、進兼門下侍郎同平章事(宰相)となった。司空となり、邠国公に封ぜられ、検校司徒、鳳翔・荊南節度使、太傅となった。
杜裔休・
杜述作・
杜孺休の父。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年03月19日 01:57