盧蔵用 ろぞうよう
675頃-722頃
盛唐の官人。字は子潜。幽州范陽県の人。父は盧璥、弟に
盧若虚。兄とともに終南山・少室山に隠遁し、官につき左拾遺、済陽県の令、中書舎人、吏部、黄門侍郎、修文館学士を歴任した。一時連座して工部侍郎に降格させられたが、尚書右丞に復帰した。
太平公主に従ったため、公主が誅殺される新州、驩州に流されたが、交趾が叛くと従軍して功績をあげたため昭州司戸参軍となり、黔州長史、判都督事に遷ったが間もなく卒した。
陳子昂・
趙元と親しく、彼らの没後、孤児を養った。隠遁を仕官の手段として用いたため、「終南捷徑(終南山の近道の意)」の故事がある。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月17日 12:36