李昌巙

李昌巙 りしょうき

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盛唐の宗室。膠東郡公の李道彦の玄孫。淮南靖王李神通の六世の孫。辰錦観察使李昌岠の弟。剣州の牙将であったが、永泰元年(765)崔寧が叛いて成都を占領すると、邛州牙将の柏貞節、滬州牙将の楊子琳とともに崔寧を攻撃。大暦八年(773)辰錦観察使から桂州刺史、桂管防禦観察使となり、建中二年(781)二月、江陵尹、兼御史大夫、荊南節度等使となり、同年八月、梁崇義討伐に加わった。検校工部尚書となった。

本紀・表・史料

『新唐書』巻七 本紀第七 徳宗 建中二年八月条
『新唐書』巻七十上 表第十上 宗室世系上 太祖景皇帝 大鄭王房
『旧唐書』巻十一 本紀第十一 代宗 大暦八年九月戊戌条
『旧唐書』巻十二 本紀第十二 徳宗上 建中二年二月乙未条

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最終更新:2024年04月23日 15:41
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