淮安王李神通 りじんつう
577-631
初唐の宗室。
李亮(鄭孝王)の子。
李虎(太祖)の孫。
李神符の兄。
高祖の従兄弟。若い頃は無頼であり、隋の大業年間(605-618)末に
高祖が蜂起した時には長安にいたが、逃亡して
史万宝とともに兵を挙げて呼応し、
何潘仁・
平陽公主の軍と合流し、自らを関中道行軍総管に任じた。長安が平定されると永康郡王、後に淮安王に封ぜられた。武徳二年(619)山東安撫大使となり、
宇文化及を降伏に追い込んだが、略奪をはかって降伏を受け入れず、かえって
竇建徳の後詰のため大敗。黎陽に退却したが捕虜となり、後に
同安公主と共に釈放された。河北行台左僕射、左武衛大将軍となった。子に
李道彦・
李孝察・
李孝同・
李孝慈・
李孝友・
李孝節・
李孝義・
李孝逸・
李孝鋭がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 淮安靖王神通
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 淮安王神通
外部リンク
最終更新:2024年09月28日 00:14