韓皋 かんこう
746-824
中唐の官人。徳宗の宰相
韓滉の子。
韓群の弟。雲陽県の尉から賢良方正異等科に及第して、右拾遺、考功員外郎、考功郎中、知制誥、中書舎人、御史中丞、兵部侍郎、京兆尹を歴任したが、貞元十四年(798)苛政を隠蔽したため、撫州員外司馬に貶された。杭州刺史、尚書右丞となったが、順宗が即位して
王叔文が実権を握ると、不満を抱いたことを従兄弟の
韓曄に密告され、鄂嶽蘄沔観察使となった。
王叔文が失脚すると、鎮海節度使に遷り、戸部尚書、東都留守、忠武軍節度使、吏部尚書を歴任した。太子少傅となって穆宗を教育し、穆宗が即位すると検校尚書右僕射となり、翌年尚書左僕射に昇進した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月28日 23:45