韓允中

韓君雄

814-873
晩唐の節度使(第13代魏博節度使)。本名は韓君雄。魏州の人。魏博の部将韓国昌の子。魏博の部将となり、昭義節度使劉稹との戦いでの功績をあげた。咸通十一年(870)魏博節度使何全皥が軍乱で殺害されると、軍によって推戴された。朝廷は普王(後の僖宗)を魏博節度正使に任じて遥任とし、韓允中を左散騎常侍、兼御史中丞、魏博士節度観察留後とした。検校工部尚書、魏州大都督府長史、充魏博節度観察等使に昇進し、重ねて検校司空、同平章事を賜った。卒すると子の韓簡が継いだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十 列伝第一百三十五 藩鎮魏博 何進滔 韓允中
『旧唐書』巻一百八十一 列伝第一百三十一 韓允忠

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 韓允中(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E9%9F%93%E5%85%81%E4%B8%AD

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年08月05日 10:02
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。