韓簡

韓簡 かんかん

?-883
晩唐の節度使(第14代魏博節度使)・群雄。魏博節度使韓允中の子。乾符元年(874)父が卒すると継いで留後となった。節度使を授けられ、検校太尉・同中書門下平章事、魏郡王となる。黄巣の乱でがおこると、河陽節度使諸葛爽を攻撃し、邢州・洺州を掠奪して帰還した。天平軍節度使曹存実を攻撃して戦死させ、掃討をはかったが、曹存実の将朱宣が敗軍をまとめて鄆州を防衛したため、陥落できず、その間諸葛爽が河陽で再戦を挑み、中和三年(883)大敗して魏に戻ったが、軍は楽彦禎を擁立したため単騎で逃げ、憤死したとも殺害されたともいう。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十 列伝第一百三十五 藩鎮魏博 何進滔 韓允中
『旧唐書』巻一百八十一 列伝第一百三十一 韓允忠 子簡

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最終更新:2024年08月05日 10:04
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