楽彦禎 がくげんてい
?-888
晩唐の節度使(第15代魏博節度使)・群雄。魏州の人。魏博の牙将で、魏博節度使
韓簡に仕えて博州刺史となり、河陽節度使
諸葛爽との戦いで功績があり、澶州刺史となった。中和三年(883)軍乱で韓簡が殺害されると軍に推戴されて留後となり、検校工部尚書、魏博節度使、検校尚書左僕射・同中書門下平章事となる。子の
楽従訓は暴虐であり、牙軍とは別の私兵「子将」を創設し、父に六州指揮使・相州刺史に任じられると、相州に軍備を整えたから、文徳元年(888)軍乱となり、楽彦禎は出家を強要され、軍は
趙文㺹を推戴して留後とした。
楽従訓が怒って魏州を攻撃すると、軍に殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年08月05日 10:04