羅紹威 らしょうい
877-910
唐末・五代の藩鎮(第18代魏博節度使)。魏博節度使
羅弘信の子。字は端己。光化元年(898)父が卒すると留後となり、まもなく魏博節度使を継承し、検校太尉に任じられ、忠勤宣力致聖功臣の称号を賜った。幽州の
劉仁恭が魏州・鎮州・冀州を攻撃してくると、
朱全忠に救援を求め、打ち破った。牙将の
李公佺が叛乱をおこしたのを契機に、牙軍の粛清に乗り出し、
朱全忠の救援もあって八千もの一族を皆殺しにした。後梁の開平四年(910)に卒し、子の羅周翰が継いだ。『新唐書』『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻二百一十 列伝第一百三十五 藩鎮魏博 羅紹威
『旧五代史』巻十四 梁書十四 列伝第四 羅紹威
『新五代史』巻三十九 雑伝第二十七 羅紹威
外部リンク
最終更新:2024年08月15日 13:25