劉仁恭 りゅうじんきょう
847-914
唐末・五代の藩鎮(第27代盧龍軍節度使)。深州(河北省献県)の人。父劉晟は盧龍の新興鎮将。劉仁恭は節帥
李匡威に仕え豪縦・多知、将来の節帥という風説があり、よく掘地降陥させたから劉窟頭とよばれた。蔚州の成将となり、節帥李匡威が弟
李匡籌に追われた混乱に乗じ、交替期を過ぎて憤怨した部下を率いて幽州を襲い、敗れて河東の
李克用により寿陽の鎮将となった(893)。李克用にしたがって李匡籌を破り、盧竜節度使に推されたが(895)、これより李克用と宣武の朱全忠との対立を利用し、子
劉守文を横海軍節度使とし、さらに河北を併有しようとして失敗した。劉仁恭はぜいたくを好み、領内の銅銭を強制徴集し、草の葉を茶に代えて売り暴利を貪った。愛妾を子
劉守光におかされたのを憤って追放しようとしたが、かえって襲われ幽閉された(907)。その後、
劉守光は帝を称したが、 李克用の子李存勗に攻められ、父子ともに捕えられ(913)、劉仁恭は翌年代州で血を李克用の墓に供えられて斬られた。『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年07月14日 00:48