王茂章 おうもしょう
?-914
唐末・五代の武将。後に王景仁と改名した。廬州合淝の人。若くして
楊行密に従い、驍勇で名をはせた。
朱全忠が
朱友寧を派遣して王師範を攻めると、救援に向かって朱友寧を討ち取った。潤州団練使となった。楊行密が卒すると、宣州観察使であった
楊渥は王茂章に宣州を守らせたが、楊渥は王茂章に宣州の旧物を求め、これを惜しんだために楊渥に兵で攻められ、
銭鏐のもとに亡命した。銭鏐は宣州節度使に任じたが、今後は
朱全忠が招いたため、間道を通って梁に帰順し、寧国軍節度使、同中書門下平章事となった。北面招討使となったが、その後は戦うたびに敗北を重ねた。『新五代史』に伝がある。
列伝
『新五代史』巻二十三 梁臣伝第十一 王景仁
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最終更新:2024年05月21日 01:04