李儼 りげん
?-918
唐末・五代の官人。宰相
張濬の子。初名は張休、一名は張播。昭宗の仕えて校書郎となり、左金吾将軍となる。天復二年、李儼の姓名を賜り、江淮宣諭使となり、間道を通って
楊行密にまみえて東面行営都統、中書令に任じ、呉王に封じ、
朱令忠を討伐するよう詔を伝えた。しかし朱全忠は鳳翔の
李茂貞に勝利し、張濬を殺害したから、李儼はそのまま広陵に留まって、帰らなかった。楊行密は名目上の節度使であった李儼に礼を尽くした。貧困のため海陵に寓居し、
朱瑾と親しかったが、徐知訓が朱瑾を殺すと連座して
徐温に殺された。『十国春秋』に伝がある。
史料
『十国春秋』巻八 呉八 列伝 李儼
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最終更新:2024年05月23日 11:31