李宝臣

張忠志

718-781
中唐の武将。もとの名は張忠志。河朔三鎮の一つ成徳軍節度使の長。当初安禄山の臣であったが、安史の乱がおこると、転戦し、唐の朝廷に帰順したり、史思明に帰順したりと主を転々とし、最後に唐に帰順して、成徳軍節度使に任じられ、河朔三鎮の一つとなった。朝廷より李宝臣の名を賜る。魏博節度使田悦討伐に積極的に参加したが、朝廷から慰労に来た宦官に侮辱されたことを契機に戦線を離脱して、魏博が窮地を逃れたため、「河朔の旧事」体制形成を盤石なものとした。没すると成徳軍は子の李惟岳を推戴したが、朝廷は認可しなかった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十一 列伝第一百三十六 藩鎮鎮冀 李宝臣
『旧唐書』巻一百四十二 列伝第九十二 李宝臣

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』李宝臣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%9D%E8%87%A3

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最終更新:2024年05月28日 09:22
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