李惟岳 りいがく
?-782
中唐の藩鎮(第2代成徳軍節度使)。成徳軍節度使
李宝臣の子。
李惟誠の異母弟、
李惟簡の兄。若くして行軍司馬・恒州刺史となる。建中二年(781)李宝臣が死ぬと、成徳軍に推戴されて留後となったが、継承を唐の朝廷は認めず、仲立ちした
田悦が李惟岳側にたって、
李正己とともに唐に反旗を翻した。易州の
張孝忠が降伏して唐につき、
朱滔と張孝忠の攻撃を受け、窮地に陥った。建中三年(782)
康日知が唐につくと、
王武俊に討伐を命じて出撃させたが、討伐軍は反転して李惟岳を殺害した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
最終更新:2024年08月15日 15:45