李惟簡

李惟誠 りいかん

764-818
中唐の官人。盛徳軍節度使李宝臣の子。李惟誠李惟岳の弟。盛徳軍を継承した李惟岳が叛くと、母の鄭氏、家僕・郎党百人あまりとともに長安に亡命した。徳宗が朱泚の乱のため奉天に逃れると、行在に駆けつけ、太子諭徳となった。さらに徳宗が山南に遷ると従い、長安に帰還すると武安郡王に封ぜられ、元従功臣の称号を得て、肖像画は凌煙閣に描かれ、鉄券を賜った。憲宗の時、左金吾衛大将軍、検校戸部尚書となり、さらに隴右節度使、鳳翔節度使を歴任した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十一 列伝第一百三十六 藩鎮鎮冀 李宝臣 惟簡
『旧唐書』巻一百四十二 列伝第九十二 李宝臣 子惟簡

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 李惟簡(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%9D%8E%E6%83%9F%E7%B0%A1

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最終更新:2024年05月28日 22:37
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