呉迥(龐勛の将)

呉迥 ごけい

?-869
晩唐の叛将。咸通九年(868)龐勛が乱を興すと将となり、泗州を攻撃した。李円撃破に功績を挙げた。泗州を包囲・攻撃したが、馬挙が泗州解囲すると、大敗して徐城に撤退した。濠州を守備したが、龐勛も戦死して乱が収束に向かう中、孤軍で濠州を死守。陥落直前に脱出を謀ったが、捕虜となって処刑された。

列伝・史料

『新唐書』巻一百四十八 列伝第七十三 康日知 承訓
『資治通鑑』巻第二百五十一 唐紀六十七 懿宗中 咸通十年二月条、同年三月条、同年九月条

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 吳迥 (唐朝)(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%90%B3%E8%BF%A5_(%E5%94%90%E6%9C%9D)

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最終更新:2024年06月13日 00:31
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