李銑

李銑 りせん

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盛唐の官人。安史の乱が勃発した時、平原におり、顔真卿によって判官に任じられた。至徳二載(757)防河招討使となり、董秦を平原太守とするよう詔を受けた。河北招討判官となり、永王李璘の叛乱に際して、李成式とともに兵を合わせて迎撃し、兵数千で揚子に陣を敷いた。

列伝・史料

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 永王璘
『新唐書』巻一百五十三 列伝第七十八 顔真卿
『資治通鑑』巻二百一十九 唐紀三十五 粛宗中之上 至徳二載正月条 同年二月条

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最終更新:2025年07月26日 23:24
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