李璘

永王李璘 りりん

?-757
盛唐の宗室・叛将。玄宗の第十六皇子。母は郭順儀。初名は李沢。母が幼くして没したから、兄の粛宗に育てられた。開元十三年(725)永王に封ぜられた。天宝十五載(756)安史の乱がおこると、玄宗より詔を下されて山南東路及嶺南黔中江南西路四道節度采訪等使、江陵郡大都督に任じられた。江陵の地が豊かなのを知って、自立を企て、江南東路採訪使の李希言に対等文書を送られたのを怒って李希言、河北招討判官の李銑を攻撃した。至徳二載(757)に官軍が集結したのを見て、部下や兵士が逃亡し、戦ったが敗れて皇甫侁に捕らえられて殺害された。子に李㑥・李伶・李儹・李偵・李儇・李儀がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 永王璘
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 永王璘

外部リンク

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最終更新:2024年12月24日 01:36
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