李悟

絳王李悟 りご

?-827
中唐の宗室。憲宗の第六皇子。母は懿安皇后。本名は李寮。貞元二十一年(805)文安郡王となり、元和元年(806)絳王に進んだ。宝暦二年(827)、劉克明蘇佐明石定寛らが敬宗を弑逆し、李悟を擁立して勾当軍国事とし、翌日即位させたが、王守澄らが文宗を立てると、殺害された。新安王李洙、高平王李滂寿安公主は子である。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 憲宗二十子 絳王悟
『旧唐書』巻一百七十五 列伝第一百二十五 憲宗至昭宗諸子 憲宗二十子 絳王悟

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最終更新:2024年09月01日 00:43
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