王昭祚 おうしょうそ
?-921
唐末・五代の武将。成徳軍節度使
王鎔の子。光化三年(900)成徳軍と
朱全忠が戦争となると、王鎔は講和を求め、幣二十万を贈り、子の王昭祚を朱全忠の人質とした。朱全忠は王昭祚に自身の娘(
普寧公主)を娶らせた。父は道釈を信じ、不老長寿を求めると家臣に政務を委ねて趙の政治は混乱したから、王昭祚と義子の王徳明(張文礼)は奸臣を殺して実権を握ったが、王徳明のクーデターにより父もろとも一族皆殺しとされた。
列伝
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最終更新:2024年06月23日 00:11