王昭祚

王昭祚 おうしょうそ

?-921
唐末・五代の武将。成徳軍節度使王鎔の子。光化三年(900)成徳軍と朱全忠が戦争となると、王鎔は講和を求め、幣二十万を贈り、子の王昭祚を朱全忠の人質とした。朱全忠は王昭祚に自身の娘(普寧公主)を娶らせた。父は道釈を信じ、不老長寿を求めると家臣に政務を委ねて趙の政治は混乱したから、王昭祚と義子の王徳明(張文礼)は奸臣を殺して実権を握ったが、王徳明のクーデターにより父もろとも一族皆殺しとされた。

列伝

『新唐書』巻二百一十一 列伝第一百三十六 藩鎮鎮冀 王廷湊
『旧五代史』巻五十四 唐書三十 列伝第六 王鎔
『新五代史』巻三十九 雑伝第二十七 王鎔

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 王昭祚(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E7%8E%8B%E6%98%AD%E7%A5%9A

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最終更新:2024年06月23日 00:11
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