朱克融

朱克融 しゅこくゆう

?-826
中唐の武将・藩鎮(第9代盧龍軍節度使)。朱洄の子。盧龍節度使朱滔の孫。朱延齢・朱延嗣の父。盧龍節度使劉総に仕えたが、劉総が盧龍節度使を朝廷に返還すると、多くの将兵とともに長安に赴かされた。長慶元年(821)張弘靖が盧龍節度使となると、朱克融も含めた将兵らも帰還したが、軍乱がおきて張弘靖が拘禁され、父の朱洄は病に臥せっていたから、軍に擁立されて節度使となった。成徳軍節度使王廷湊とともに唐に反抗した。宝暦二年(826)軍乱によって朱延齢とともに殺害され、次子の朱延嗣が擁立されたが、間もなく李載義に一族三百人ともに皆殺しにされた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十二 列伝第一百三十七 藩鎮盧龍 朱克融
『旧唐書』巻一百八十 列伝第一百三十 朱克融

外部リンク

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最終更新:2024年07月12日 01:52
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