李全忠 りぜんちゅう
?-886
晩唐の武将・藩鎮(第24代盧龍軍節度使)。范陽(現在の北京市郊外)の人。
李匡威・
李匡籌の父。盧龍軍の部将で、棣州司馬に任じられた。盧龍軍節度使
李可挙に仕えたが、
王処存との戦いで大敗して、責任を取らされることを恐れて、反転して李可挙を襲撃・殺害し、留後となった。光啓元年(885)節度使を拝命したが、光啓二年(886)重病のため子の李匡威にその地位を譲った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月14日 00:45