李匡籌 りきょうとう
?-895
唐末の藩鎮(第26代盧龍軍節度使)。盧龍軍節度使
李全忠の子。
李匡威の弟。節度使の兄李匡威のもと、兵馬留後・検校司徒であったが、景福二年(893)酒宴の際に妻を兄に犯されたため、兄を追放して留後、節度使となった。簒奪したため軍の支持を得られず、部将の
劉仁恭が太原の
李克用に出奔し、乾寧元年(894)李克用の攻撃を受けて逃走し、滄州節度使の
盧彦威に殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年07月13日 11:45