李誼

舒王李誼 りぎ

763-805
中唐の宗室。初名は李謨。代宗の第三皇子の昭靖太子李邈の子であるが、徳宗の子として扱われ、徳宗の第二皇子となった。大暦十四年(779)舒王に封ぜられ、建中元年(780)、四鎮北庭行軍、涇原節度大使となった。建中二年(781)郭子儀の見舞いに派遣された。建中四年(783)李希烈が叛くと揚州大都督・荊襄江西沔鄂節度使・諸軍行営兵馬都元帥に任じられ、李誼と改名し、普王に移封された。朱泚の乱が起こると徳宗に従って奉天に逃れ、籠城軍を励ました。長安に戻ると舒王に改められた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 徳宗十一子 舒王誼
『旧唐書』巻一百一十六 列伝第六十六 徳宗諸子 舒王誼

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最終更新:2024年07月17日 10:18
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