董晋 とうしん
724-799
中唐の宰相(在任789-793)・藩鎮(宣武軍節度使)。字は混成。河中虞郷(山東省永郷県)の人。明経科に及第し、秘書省校書郎、淮南府判官、祠部郎中となり、
李涵に従って
崇徽公主を回紇に護送。秘書少監、太府卿、左散騎常侍、兼御史中丞、知台事となった。華州刺史の時、
朱泚の乱に遭い、攻撃されて遁走した。国子祭酒、左金吾衛大将軍、尚書左丞を経て、貞元五年(789)、門下侍郎同中書門下平章事(宰相)となった。当時
竇参が徳宗の信認を得て宰相となり、専横して董晋もその与党であったが、徳宗の諮問により竇参の過失を述べたから、竇参は罷免され、貞元九年(793)董晋も宰相を罷免されて礼部尚書となり、兵部尚書、東都留守となった。貞元十二年(796)宣武軍節度使の
李万栄が死ぬと、後任となり、在任中卒した。子に
董渓がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月20日 18:15