陸長源 りくちょうげん
?-799
中唐の官人。陸璪の子。
陸余慶の孫。名門の呉郡の陸氏の傍系で、陸玩(三国時代の陸遜の弟陸瑁の孫)を祖とする太尉坊の出身。昭義軍
薛嵩の幕下を最初に、建州刺史、信州刺史、江淮転運副使、御史中丞となり、都官郎中、汝州刺史を歴任。貞元十二年(796)
董晋が宣武軍節度使となると、宣武軍行軍司馬として随行した。性格が剛直苛烈で、法の執行に厳格であったから、兵士に嫌われ、董晋が卒すると朝廷に節度使に任じられたが、軍乱によって殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
最終更新:2024年07月21日 01:03