劉展 りゅうてん
?-761
中唐の叛臣。江淮地方出身の豪族と思われる。安史の乱の社会情勢を背景に陳留の参軍から試汝州刺史、さらに滑州刺史充副使に栄進(759)。まもなく
史思明により滑州もおとされ、節帥
許叔冀も降伏し、劉展は宋州刺史・淮西節度副使に転じた。彼はその剛強と栄進を藩帥
王仲昇や江淮都統
李峘、淮南東道節度使
鄧景山らの有力官僚に忌避され、22州を兼領する淮南東・江南西・浙西の3道節度使とあわせて江淮都統にのぼされ、使府揚州におもむく途次反乱を名目に彼らから迎え撃たれたが(760)、7,000の宋兵とこの地方の親旧に頼ってこれらを打ち破り、たちまち淮南より江南におよぶ地域を攻略した。これに恐れた鄧景山らは、淮南の金帛・婦女を代償として平盧兵馬使
田神功を誘って劉展を討たせた。劉展はこの北方の梟雄を迎えて奮戦したが、ついに敗れ去った。こうして反乱は急速に鎮定されたが,商都揚州は田神功の軍の略奪にあい、外国商人をふくめて惨害をこうむった。
本紀・列伝
参考文献
参考文献『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年08月15日 12:33