李峘

李峘 りかん

?-763
盛唐の宗室・武将。信安郡王李禕の長子。李琨の孫。呉王李恪の曾孫。太宗の玄孫。李嶧李峴の兄。考功郎中として睢陽太守となり、玄宗が蜀に逃れると行在に駆けつけ、武部侍郎、兼御史大夫に任じられた。蜀郡太守・剣南節度採訪使に任じられ、郭千仞の乱を陳玄礼とともに平定した。戸部尚書、越国公となる。乾元元年(758)持節都統江淮節度宣慰観察使となり、揚州長史の鄧景山とともに淮南節度使劉展に対応したが、寿春で戦って敗北。逃走したため、袁州司馬に貶され、在官中に卒した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 鬱林王恪 信安王禕 峘
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 呉王恪 孫信安郡王褘 峘

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最終更新:2024年08月12日 23:13
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