韓穎

韓穎 かんえい

?-762
中唐の官人。山の人であったが、大衍暦の誤りを上言し、そこで太子宮門郎に任じ、天台を担わせ、至徳暦をつくった。乾元元年(758)に施行された。乾元年間(758-760)劉烜とともに待詔翰林となり、李輔国と昵懇となり、李輔国が中書を管轄下に置くと、秘書監となった。李輔国が罷免されると、宝応元年(762)嶺南に流され、死を賜った。

志・列伝

『新唐書』巻二十七下 志第十七下 暦三下 五星議
『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 程元振
『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 李輔国

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最終更新:2024年08月30日 02:21
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