程元振 ていげんしん
694-764
中唐の宦官。京兆三原県の人。内侍省につとめ、
李輔国の部下として仕え、内射生使・飛龍厩副使となった。
張皇后が越王
李係を即位させようと謀ると、程元振は太子(
代宗)を擁立して即位させた。その後驃騎大将軍となって禁軍を掌握し、李輔国を失脚に追い込んだ。
王仲昇と結びついて、
裴冕・
李光弼を讒言し、
来瑱・
李懐譲を誅殺、自殺に追い込むなどしたため、召還命令を受けると誅殺されるものと思う者が続出し、朝廷と藩鎮間の信頼関係を決定的に失わせた。広徳元年(763)
僕固懐恩が叛いて吐蕃・党項とともに大軍で侵入したが、知っていながら報告せず、首都長安陥落の憂き目に合わせた。
柳伉の弾劾を受け、罷免されて故郷三原に帰されたが、婦人の衣服を着て密かに長安に入ったため、溱州に流刑となり、江陵で恨みを持つ者の手にかかって殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年08月16日 01:26