李佋

興王李佋 りしょう

753-760
中唐の宗室。粛宗の第十二皇子。母は張皇后。定王李侗の同母兄。至徳二載(757)興王に封ぜられる。乾元三年(760)鳳翔節度大使となるも、遥任で実際には赴任しなかった。嫡出であったため、張皇后は皇太子広平王を代えて李佋を儲君にしようとしたが、わずか八歳で上元元年(760)薨じた。皇太子に冊立し、廟号を恭懿という。『旧唐書』『新唐書』に短い伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 粛宗諸子 恭懿太子佋
『旧唐書』巻一百一十六 列伝第六十六 粛宗代宗諸子 粛宗十三子 恭懿太子佋

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最終更新:2024年09月04日 23:23
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