張皇后
?-762
盛唐、
粛宗の皇后。父は
張去逸。
張清・
張潜の姉。祖母の
鄧国夫人竇氏は、
玄宗の生母
昭成竇皇后の妹。粛宗が忠王時代に後宮に入って良娣となった。正妃の
韋妃が離別されると、知性と弁舌により粛宗の寵愛を得て、安史の乱の際に粛宗に付き従って、夜間の護衛、産後すぐの内助を行った。粛宗が即位すると淑妃となり、乾元元年(758)皇后となった。政治に大きな影響力をもち、宦官の
李輔国と結んで
李倓を死に追いやった。粛宗との間に
李佋・
李侗を生んだが、いずれも夭折し、粛宗が崩ずると、越王
李係を擁立し、皇太子(
代宗)を擁立する李輔国・
程元振と対立、敗れて殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝・史料
『新唐書』
巻七十七 列伝第二 后妃下 粛宗張皇后
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 粛宗張皇后
外部リンク
最終更新:2025年01月01日 01:54