崔幹

崔幹 さいかん

?-650
初唐の貴族・官人。字は道貞。本名は崔民幹であるが、太宗の諱「世民」を避けて崔幹となった。山東貴族の名門中の名門である博陵崔氏第二房の出身。崔叔重の子。崔猷の孫。隋では醴泉県令であったが、唐に投降して丞相府主簿となる。黄門侍郎となり、淮安王李神通が山東道安撫大使となると、副使となったが、意見の対立により捕縛された。『氏族志』が編纂されると、崔幹は家格第一等とされたが、太宗の介入により、皇家の李氏が第一等、外戚が第二等で、崔氏は第三等に降格された。

表・列伝

『新唐書』巻七十二下 表第十二下 宰相世系二下 崔氏 博陵第二房崔氏
『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 淮安靖王神通
『新唐書』巻九十五 列伝第二十 高倹

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』崔民幹
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%B0%91%E5%B9%B9

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年09月27日 22:33
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。