崔幹 さいかん
?-650
初唐の貴族・官人。字は道貞。本名は崔民幹であるが、太宗の諱「世民」を避けて崔幹となった。山東貴族の名門中の名門である博陵崔氏第二房の出身。崔叔重の子。崔猷の孫。隋では醴泉県令であったが、唐に投降して丞相府主簿となる。黄門侍郎となり、淮安王
李神通が山東道安撫大使となると、副使となったが、意見の対立により捕縛された。『氏族志』が編纂されると、崔幹は家格第一等とされたが、
太宗の介入により、皇家の李氏が第一等、外戚が第二等で、崔氏は第三等に降格された。
表・列伝
外部リンク
最終更新:2024年09月27日 22:33