膠東郡王李道彦 りどうげん
?-?
初唐の宗室・武将。淮安王
李神通の長子。
李孝察・
李孝同・
李孝慈・
李孝友・
李孝節・
李孝義・
李孝逸・
李孝鋭の兄。隋の大業年間(605-618)末に
高祖が蜂起した時には長安にいたが、父とともに逃亡して山中に入り、病気となった父のために物乞いや木の実拾いして食料を集めた。武徳元年(618)唐が建国すると義興郡公に封ぜられ、武徳五年(622)膠東王、隴州刺史となる。相州都督に任じられた。のちに爵位は膠東公に降封され、岷州都督に任じられた。貞観九年(635)赤水道行軍総管となるも、党項(タングート)の拓跋赤辞を勝手に襲撃したため諸羌の怒りを買い、大敗したため、辺境の防備につかされた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 淮安靖王神通 膠東郡王道彦
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 淮安王神通 膠東王道彦
外部リンク
最終更新:2024年09月28日 18:28