李夷簡

李夷簡 りいかん

756-822
中唐の宗室・藩鎮・宰相(在任818)。字は易之。その世系は、高祖→鄭恵王李元懿→嗣鄭王李璥李察言→李自仙→李夷簡である。宗室の子であるから鄭県の丞に補任されたが、朱泚の乱を経て官を棄て、進士に及第して改めて藍田県の尉に任命され、監察御史に遷った。京兆尹の楊憑を告発して、功績によって戸部侍郎、判度支となった。元和六年(811)検校礼部尚書・山南東道節度使となり、元和十三年(818)長安に呼び戻されて御史大夫となり、さらに門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)となったが、李師道討伐に際して同じく宰相裴度が派遣されることになると、李夷簡も外任を求めて宰相を辞し、検校尚書左僕射平章事となり、淮南節度使に任じられた。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百三十一 列伝第五十六 宗室宰相 李夷簡

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最終更新:2024年10月19日 22:17
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