李希言

李希言 りきげん

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盛唐の武将。呉郡太守、兼江南東路采訪使。至德元載(756)十二月、永王李璘が勝手に兵を率いて東巡したのを見て、李璘へ書面を送って、勝手に兵を率いて東下した真意を詰った。そのため李璘は渾惟明を派遣して呉郡を襲撃させた。李希言は将軍の元景曜および丹徒太守の閻敬之に兵を与えて迎撃させたが、閻敬之が戦死し、元景曜は投降したため、劉晏の守備する余杭に逃れた。至德二載(757)十月、河南節度使の張鎬の麾下として、睢陽の張巡の救援に向かったが、睢陽は到着の三日前に陥落していた。

列伝・史料

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 永王璘
『新唐書』巻一百四十五 列伝第七十 元載
『新唐書』巻一百四十九 列伝第七十四 劉晏
『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 張巡
『資治通鑑』巻第二百一十九 唐紀三十五 粛宗中之上 至德元載十二月甲辰条

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最終更新:2025年08月16日 23:34
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