武氏七廟
洛陽、皇城の東朝堂の南、第四横街の北に位置し、左掖門街の東にあった。隋代には少府監があり、
武則天によって武氏革命がおこると、天授元年(690)武氏七廟が設置され、
崇先府に祀られていた父
武士彠を祀って孝明皇帝とした。さらに周の文王を始祖文皇帝とし、武王を睿祖康皇帝とし、武氏の先祖であるとした。武則天の五代祖の武居常を厳祖成皇帝に、高祖父の武克己を粛祖章敬皇帝に、曽祖父の武倹を烈祖昭安皇帝に、祖父の武華を顕祖文穆皇帝とし、その夫人を皇后とした。神龍元年(705)
中宗が復位すると、武氏七廟の神主は長安の崇尊廟に移され、代わって太廟が置かれた。
参考文献
愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2024年11月12日 23:21