栄国夫人

栄国夫人

579-670
初唐の夫人。姓は楊氏。楊達の娘で、楊雄の姪。隋の皇族の連枝で、武士彠の後妻となり、韓国夫人武則天・郭孝慎夫人武氏の三女を生んだ。夫が死ぬと先妻の子に冷遇されたが、武則天が高宗の寵姫となり、さらに皇后となると代国夫人に封ぜられ、顕慶五年(660)栄国夫人に封ぜられ、さらに衛国夫人に封ぜられた。咸亨元年(670)没すると魯国太夫人を追贈された。さらに武則天が政権を掌握するにつれて、太原王妃・魏王妃・忠孝太后と累進し、武則天が即位すると孝明高皇后に追冊されたが、唐が復辟すると太原王妃に戻された。

列伝

『新唐書』巻七十六 列伝第一 后妃上 高宗則天武皇后

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最終更新:2024年11月19日 23:03
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