王昱

王昱 おういく

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盛唐の官人。母は鄭氏。母方の叔母に沛国夫人鄭氏、母方の従兄弟に上官昭容がいる。また皇甫惟明の義弟である。上官昭容の推薦で拾遺となった。さらに太僕卿となり、益州長史、剣南節度留後、後に剣南節度使となった。雲南で六詔の一つ南詔が対等すると、皮邏閣に六詔を合わせて一つとなることを求められて裁可し、南詔強勢に契機をつくった。開元二十六(738)剣南の軍をつれて安戎城(四川省茂県西南の塞外)に攻め入り、二つの小さな要塞を築いたが、吐蕃の反撃を受けて大敗、数万の兵士を失った。高要(広東省高要県)に左遷されて死んだ。

列伝・史料

『新唐書』巻七十六 列伝第一 后妃上 中宗韋皇后 上官昭容
『新唐書』巻二百一十六上 列伝第一百四十一上 吐蕃上
『新唐書』巻二百二十二上 列伝第一百四十七上 南蛮上 南詔上
『旧唐書』巻一百九十六上 列伝第一百四十六上 吐蕃上

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最終更新:2024年12月15日 22:44
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